「魔法先生ネギま!」と「ネギま!?」の違和感を納得する考え方
さて、アニメ「ネギま!?」も2話まで放送され、作品の方向性も分かってきた今日この頃
正直、夕方の子供向けとは思えない黒板ネタの濃さですが
(あの黒板ネタをするなら深夜だろ・・・)
そんな独自のアニメオリジナル路線を打ち出している「ネギま!?」だからこそ、「魔法先生ネギま!」に親しむ人の中には拒否反応を示す人も出るわけで
その拒否反応の原因になるだろう「原作『魔法先生ネギま!』とアニメ『ネギま!?』の設定の違い」は、
でまとめておられます
だいぶ違いがありますが、自分はこの違いに違和感感じちゃう側なんですね
この違和感を納得するにはどうしたらいいのか?
その問いへの一つの答えを提案したいと思います
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「ネギま!?」は「魔法先生ネギま!」のスピンオフである
( ゚Д゚)ハァ?
うん、なんか変な言葉が出たね
これを言い換えるならば、
アニメ「ネギま!?」は3−Aによる
演劇である
こう考えると、いくつかの設定の違いの理由もでっちあげることができると思います
まぁ、正確には劇というよりドラマですかね?
上のリンク先で挙げられている変更点を見ていってみましょう
- 明日菜のオッドアイ
これは演劇の観客にミスリーディングさせないためにコンタクトをしていると考えます
オッドアイになにか理由があるのでは、なにかの伏線があるのではないかと思わせないためです
「魔法先生ネギま!」では重要な伏線ですが、この劇中劇である(とした)「ネギま!?」では必要ないのです
- エヴァのナギへの思い
ナギと密接な関係があると知っているのは、ごく限られた人たちだけです
クラスメイトの一般人は知らないことです
それに、そういった事情を加えると、話がややこしくなるので、脚本の時点で「ただ昔戦った」という事実だけを描くことにしたのです
- タカミチが傷の治療に魔法を使った?
劇であれば、魔法を使えない人が魔法を使うのもありですよね
それに大人が出れば、この劇の本気度もあがりますからね
どうして協力じてくれてるかが微妙
あまりにも魔法を前面に押し出してて現実味がないと判断したかな?
- <2>の変化
これは3−Aが劇をしていると考えると納得しやすいのでは、と思います
これらの要素があったからこんな説を考えましたし
原作で劇を出来る状態になっているのは、少なくともエヴァとの対決の後です
エヴァがいないと冒頭の対決はできませんし
あと、千雨も参加してくれるとなると学園祭以降に思えます
千雨が協力的になるのがここからですし
そうなると、カモくんはいて当然になりますし、明日菜はネギを嫌ってないですし、のどかはネギを嫌う演技なんてできそうにないですし、千雨のパソコンいじりも知れ渡っていそうな状態と考えられます
それぞれが無理をしないで出演しているのです
- <3>の変化
<2>と同じ感じですが、これは劇の演出・脚本の影響と考えます
刹那が木乃香と親しい理由を過去の事情や思い出といったものから、桜咲家が近衛家に代々仕えていてその関係で仲良くなったとすれば、仲直りを描くこともなくなり、なによりせっちゃんがこのちゃんに冷たくする演技をしなくて済みます
今のせっちゃんにはそんな演技はムリですw
刹那の事情も劇で描くには重く、長いです(ぉ
明日菜のだらしない性格はもろに演出な気がしますが
- 髪の色の変化
これはアニメによくある理由ですね
髪の色が同じ子がたくさんいると、見ている人から見分けがつかない
だから希望者、もしくはクジで決まった人がカツラを被る、もしくは髪を染めているのです
こうして見ると、「ネギま!?」が「魔法先生ネギま!」の劇中劇であるという考え方もあながち捨てたものではないでしょう?
なにより黒板ネタなどのネタの豊富さがこの考えを支持する気がするwww
こじつけとしては、少なくとも学園祭後のある日、卒業制作として劇というか長編ドラマを撮ることになったから、ネギの赴任時からの独創的な展開を描こうってなったと妄想
撮影現場はいいんちょや木乃香がいるし、映像は朝倉、効果は超・葉加瀬やら実力者がいるしね
もちろん脚本はパル
こんなリアルに近いことを脚本にできる度胸はパルだけ
黒板ネタもパルなら知ってそう
長文へのお付き合いありがとうございました
あ、あくまで考え方なのでフィクションですよ?